とある二流大学院卒の個人的見解

二流大学院卒ITプレイヤーが学習や世の中の動向に対する自分の意見を綴っていくブログ

雑談.ビーガン食

 久しぶりに記事が書ける!

 現在、自宅のパソコンを遠隔操作しているのですが、なかなか大変でした。まず、こちらで、インターネットを使えるようにするまで、数日かかり(行動力の問題がある)、ログインしようとしたときにブロックされ、解決方法を探るためにまた数日(圧倒的IT知識不足)、遠隔操作という方法を発見し、行ってみるも非常にPCが重たい(こればかりはどうしようもない)。まあ、私のことはどうでもよいでしょう。

 本題に入ります。

 レストランに行ったときに、「動物性食品不使用(NO ANIMAL FOOD)」といった表示をたびたび目にしました。いわゆるVegan dietですね。勿論健康的な面で考えたり、自然への配慮を考えたりでVegan dietにしている人も多いですが、意外にも(それとも、やはり?)命を奪うのはよくないという信心からこれを行っているという人も多いようです。

 話は変わりますが、私は中学生のころ、厨二病をこじらせていたせいもあり、人間の自然に対する罪、すなわち、どのようなことが自然の摂理と反している行動であり、何をしてはならないのかということを真剣に悩んでいました。そして、その中で、自然の摂理に反しているのではないかと思える、ほかのほとんどの動物がしていないにもかかわらず、人間が行っている作業がありました。それは必要以上の命を奪うことです。

 その辺のスーパーに行けば、食べ物が所狭しと陳列されています。それほど買う人がいないにもかかわらず、陳列されています。陳列して捨てられるためだけに命が奪われたものがあるということです。特に多いと思うのは野菜コーナーです。すぐに傷みやすい野菜は毎週のように入れ替えが行われています。

 実は、Vegan dietこそが、乳製品よりも生物を殺しているのではないか。そう思われるわけです。

 私は、Vegan dietを否定するつもりはありません。食べるための殺生は仕方ない。それはほかの動物たちも行っている、一般不変の真理です。私の意見としては無人島で生き延びるために仕方なく友達を殺して食べた人より、現代社会のレストランやスーパーのほうが断罪されるべきであると感じます

 一寸の虫にも五分の魂。どんな生き物にも人間と同じだけの魂があるよということですが、これが一番私の思想に近いでしょう。すなわち、猿を食べるのも豚を食べるのも同じであり、クジラを食べるのも、人参を食べるのも、根本的には生きているものを摂取しているという点で変わりないでしょう。それにもかかわらず、やれ、クジラは哺乳類だからだとか、猿なんて霊長類だからとか、猫はだめだとかいって、ほかの動物と区別して食さないのは、(個人的にやる分にはいいだろうが)国や国連を挙げて動物愛護とか言ってすべて禁止するのはいかかがなものかと思うんですよね。

 最終的に何が言いたいかというと、Vegan dietも動物愛護も、そのほかの趣味や嗜好に関しても個人でやるなら別にいいけれども、誰かに押し付けてやらせようというのはおかしいよということ。無理に誘ってやらせるのではなく、勝手に集まってくる、そんな自然人気が実際一番いいのである。

(まとまりがない話だった、、、もう少しまとめてからのほうが良かったかな...)