「人だけが意思疎通するための高度な言語機能を持つ生命であることはみなさんご存じの通りです。」
言語学の講義で教授はこう言い放ちました。しかしながら、私からしてみれば、イルカの言語能力の高さや、鳥の鳴き方による意思疎通、蜂の動きによるコミュニケーションは、なんぞ人間の言語に劣らざらんや。と言いたくなります。イルカは自らの言語に加え、リスニングだけでいえば人間の言語も習得するバイリンガルでありながら、人間は「イルカ語」の一端も理解してはいないじゃないですか!
このようなことは、言語系に疎い私ですら知っていることであるのにもかかわらず、なぜ、その専門としている人がそのようなことを言えるのでしょうか。
文系の研究というのは、明らかな誤りというものはあっても、確実な当たりがありません。そのため、古くから知られている文書から学習を行い、今の感覚をもってして議論するという形が主なように感じます。(もちろん、現代の変遷も取り扱うが、はっと驚くするような研究というものはなく感覚に即した内容なため、新たな論文がでても、根拠がしっかりしていれば、そういう考え方もあるな。ぐらいなのである。)科学的に新たな考え方が出てきたとしても、取り入れるまで時間がかかっているのではないかということが第一に挙げられます。
そして、第二に確実な当たりがないことから、理系のように勝手に「自然」が考えを否定してくれることがないため、考えが正されることが少なく、誤った方向に突き進んでいってしまうということが起きているのではないかとおもいます。(統計を取る方法は別である。主に形而上で扱わなくてはならないことが多い言語論や思想論、この世の真理など)
文系の教授への話をしましたが、理系の教授のほうが、もっとひどい教授が多いです。
数学系の教授は、理論を説明して、テストで問題を解かせますが、これは、自転車はどのような部品がどのように動いているかの講義をして、体に当たる大気の流体力学を説明した後のテストが、自転車に乗ることといったようなものです。彼らは、正しい理学こそが真で、わかりやすさなんてものは放棄しています。
応用の分野ではよりひどいことが行われています。例えば、天文学ではビッグバン理論が横行しています。私からしてみれば、ビッグバン理論は天動説みたいなものに感じます。なぜなら、多数の観測できていない変数、ダークマターやダークエネルギーを加えて、それでどうにか成り立っているものであり、説明できているなんて言ってますが、観測された内容に合うように定義しているのだから、何の説明にもなっちゃいない。しかも、これでは、不均一性は説明できないではないか!それよりも、重力だけの宇宙論だけでなく、プラズマの影響を受け、それによって、惑星同士が電荷的な能力を持っているというプラズマ宇宙論が私の中では有力説です。ただ、これだけでは説明しきれない内容があるため、超弦理論の内容を一部プラスした、「極小ブラックホールをダークマターとしたプラズマ宇宙的準定常宇宙論」がいいのではないかと考えています。(私のことはどうでもいい)すなわち、ビッグバン理論は確実性はしっかりとは確かめられていない宇宙論の一つであることは間違いないのです。
それにもかかわらず、日本では、(そして、日本以外ではまだ議論されているにもかかわらず)ビッグバン理論はもう確実なものかのように説明しており、そのほかの内容があるなんてことすら、知らせていないのです。勿論、一番有力なのがビッグバン理論であることは確かですが、それ以外を教えないというのは横着以外の何物でもありません。
理系・文系を通して、教授は横着である。このことを知っておくだけで、少し丁寧な学習ができるようになった気がします。