とある二流大学院卒の個人的見解

二流大学院卒ITプレイヤーが学習や世の中の動向に対する自分の意見を綴っていくブログ

雑談.先生との関係

 どうも、こんにちは。いきなりですが、先生に対する文句に関わる話って非常に多いですよね。授業の内容が分かりにくいだの、声が小さくて聞こえないだの、板書がきたないだのといった、授業に関わる内容から、無駄に怒っているとか、逆に怒らなすぎるとか、話し方がうざいとか、どうでもいいことまで。

 私としては、先生ってすごく大変だよ?と言いたい気持ちもあるのですが、人としての好みは千差万別であり、そのような不満が生まれてきてしまうのは仕方ないことなのかもしれません。(特に思春期、青年期といった多感な時期の場合)

 私が中学高校時代のときも、やはり、分かりにくいものの代名詞のように扱われる数学や、完璧が存在しないのに偉そうにと反発心を生みやすい英語の先生に対して、好ましく思ってない輩は少なからずいました。その中には、先生が嫌いだから、その教科の勉強は全くしないみたいな人がいました。あえて、宿題を全部やらないとかね。授業を休むとか。

 ・・・しかし、ちょっと考えてみてください。それをして損するのは誰でしょう?生徒の成績が上がらない先生でしょうか。確かにそのような一面はあるかもしれません。全員がそのような状態であれば、仕事として先生をしている以上、改善をしていかなくてはならない義務が生じています。明らかに周りの学校の生徒と比べてひどい状態であったり、生徒に予想される能力を著しく損なうものなら、何かしらの措置がとられるでしょう。それは、先生に対する注意や指導かもしれません。しかし、一番損しているのは、実際にそれを行っている将来の道を一つ一つ削ってしまっている生徒自身であるでしょう。

 先生からしてみれば、どんなに長くても3年しか関わらない、複数のうちの一人です。(留年は考慮しない)その中の一人が、勉強できなくても、いい先生でない限りどうでもいいことです。あなたが勉強できなくても、先生は困りませんあなた自身が、最終的にはそのつけを払わなくてはならなくなるのです。自分の一生、一度きりの人生を、自分にとって嫌な、どうでもいいモブ(いやな先生)によって、ずっとずっと制限されるなんて非常にばかげた話です。将来だけの話でもありません。教科書を買って、授業料を払って、学校にまで「わざわざ」行っているというのに、それを学ばないなんて非効率にもほどがあります。論理的に考えれば、百害あって一利なしです。

 どんなに嫌な人の話でも、その人の中では理論が通っています。とりあえず、グチグチ言ってねぇで授業を受けやがれ!!以上。(とここに書いても意味がないかも?)