とある二流大学院生の個人的見解

二流大学院生が学習や世の中の動向に対する自分の意見を綴っていくブログ

雑談.勉強していれば偉いのか

 最近母校に行く機会があり、お邪魔したのですが、その時に思ったことを書き記したいかなと思います。今回は結構、内容が砕けているかもしれません。

 私の高校では、少なくとも当時は、教室内において、休憩時間や放課後は学習している人がいる場合、静かにしなくてはいけないということを押し付けてくる先生が多かったです。「何を当たり前のことを・・・」と思う人がいるかもしれません。しかしながら、私はこの規則に反対しています。その理由は次の二つです。

 一つ目は、学習者は多くの行き場がありますが、だべったり、遊んだりしたい人には行き場がないからです。私の高校では、自習室もあれば、図書館だってずっと空いており、学習したいならそこに行けば静かに学習ができました。しかしながら、雑談をしたい人はどこに安息の地があるでしょうか?座る場所はなく、外でするにも部活動で使われており、廊下では邪魔にされ、どこ行っても邪魔者扱い。静かに学習できる場所の提供という「公共の福祉」の行き過ぎた拡大解釈を行うことによって、学習者が別のカンファタブルな場所に移動すればいいだけなのに、悲しき遊人民は教室外へと迫害されてしまっているわけです。

 二つ目は、実際会話よりも、先生が静かにしろという圧力のほうが学習への集中を途切れさせているように感じるからです。はっきり言って、私自身は雑談は全く気にならないほうです。むしろ、学習していて、疲れた時に耳を傾けて楽しむぐらいであったため、よく教室で学習するタイプの生徒であったと思います。それにもかかわらず、その教室で麻雀とかしている生徒に対して、先生が怒鳴りつけるというのはおかしいと思ってしまいます。とりあえず、しかるならその生徒たちを連れて教室から出てけ!!と思ってしまいます。しかも、自分が勉強しているからしかられてると思うととても後味が悪く、勉強に集中もできません。私自身は雑談でうるさくしてしまうということで怒られたことは一度もありませんが、そのようにして怒られている人を見ると申し訳なく感じることが多々ありました。

 今まで書いていて思うことは、学習していれば偉いのか?移動できるにも拘らず、文句を言って動かないというのはただのクレーマーだし、文句を言っていない人の代弁みたいな顔して、先生が叱るというのも全くもって意味をなさないということです。そもそも、勉強よりも人と人とのかかわりというほうが何万倍も大事に決まっているじゃないか!!以上です。

 

 ノーベル化学賞が決まりましたね!高校生には次の英語のリスニングをお勧めします!16分ぐらいまで聞き取ってみるといいでしょう。


Announcement of the Nobel Prize in Chemistry 2019

 実際、こんな訛った英語でも英語として普通に伝わるわけです。日本人は発音を気にしすぎでしょう。きれいな「ニュースやCDの英語」だけでなく、多くの英語に触れていくことがリスニング上達のカギになります。(特に理系は英語は論文の読み書きに必須だからね!!)