とある二流大学院卒の個人的見解

二流大学院卒ITプレイヤーが学習や世の中の動向に対する自分の意見を綴っていくブログ

雑談.20%で80%~マイノリティーはマジョリティー?~

 COVID19で世界中どこもかしこも例外なく大変になっています。日本に関しては、もう感染爆発を抑えることが不可能であり、いかにそれの被害を時間的・空間的に少なくするかという動きに移行しつつあります。現在では緊急事態宣言がだされ、その流れの中で大半の業種が事実上の営業禁止措置となっております。

 この話の中に80%以上、人との接触を減らさなくてはいけないというものがありました。それを聞いたときボヤっと何かが浮かんでいたのですが、その違和感の正体が分かったのでここに記します。

 少し遠回りをしますが、ある学者の話をしましょう。動物学者ロバート・ペインは実験の一環として潮間帯から少しずつ生息数が少ない一種類のヒトデを取り除くということを行っていました。そうすると、その獲物となるイガイは捕食者となるヒトデがいなくなったことで急激に増え、カイメンがエサ不足によりいなくなり、結果ウミウシが増えました。このようにたった一種類のヒトデがいなくなるだけで生態系が大きく崩れてしまいました。すなわち、生息数が少ないヒトデはこの生態系において重要な役割を果たしていたといえます。

 生息数が少ないを人数が少ない、生態系を社会と置き換えるてもよいのではないかというのが、環境経済学博士ジェニファー・ジャケ氏の意見です。先進国の人口は全人口の15%に過ぎないが、資源の使用割合は95%以上を占めています。都市の面積は郊外地域に比べ(定義によって変わるが)20%は下回っているのにもかかわらず、やはり、人口やごみの排出総量は80%を超えているでしょう。まったく違う話ですが、文章を読む場合も全て逐一は読まなくても重要そうな20%を読むことによって筆者の主張の80%が分かるという話もあります。

 ジェニファー氏はアメリカの水の使用の8割が農業であるにもかかわらず、節水要請をされるのは一般家庭であるといっています。一番効果的な場所を除いて、それ以外のところにしわ寄せがいっているということです。私が思ったことは、もしかしたら、いや、確実にCOVID19の対応に関してこのようなことが起きているということです。

 はっきり言って、主婦に対して、外出を自粛してくれやらなんやらしたところで大きくは変わりません。むしろストレスにより基礎免疫力の低下、ストレス性の別な疾患、会話がなくなることによって引き起こされる感受性の低下による後々の経済損失などのデメリットのほうが非常に大きくなるのではないでしょうか。本当にしてはいけないのは一つの密集した空間を生み出すことなはずです。電車等に乗っている人たちの半分が少し遠くても自転車で行くということをするだけで、ほぼ8割は解決したもの同然でしょう。50 km前後で東京の端からの大体のところに行けるのだから、そんなちょっとしたことをした人にも定期代をあげるみたいなことをすれば、大幅に減らせるでしょう?

 テレワークできるところがテレワークして、フレックスできるところがフレックスして、自転車で行ける人が自転車で行けば、フリーランスや中小企業者に「店閉めろ!」ではなく「気を付けて営業してください」で問題ないはずです。なぜなら、大企業に勤めている30%の人は会議・打ち合わせが多く、フリーや中小と比べ、接触が多かった人たちですから、その人たちが9割削減を達成すれば、他の人たちはいつも以上に気を付けるだけで達成できるのですから。

 まぁ、大学生の世迷言と思われるでしょうけれども・・・

 

雑談.人生宇宙全ての答え

 皆さんこんにちは。私悟りました。家で自堕落な生活続けていたら、悟りました。コロナウイルスのせいで高校のお世話になった先生が離任するというのに、離任式に行けなくて悟りました。図書館に行って本読みたいのに、家に引きこもっていたため悟りました。友達と会話すらできず、メールを送るにしても、ネタが思いつかないぐらいに悟りました。

 冗談です。しかし、世界が一瞬”こう”見えました。きっとそれは、多くの人たちに失礼であり、不謹慎であるのでしょうが、思ってしまったことだから仕方ないでしょうし、できれば、誰かに否定してほしいように思ったので、ここに載せておきます。

 

 この世の中は、ゲームのような世界なのではないかということです。

 きっとゲームやりすぎて、頭がおかしくなったのでしょう。しかし、ミクロ的な視点、マクロ的な視点。どれをとっても、それっぽく感じてしまったのです。

 

 まずは、ミクロ的な視点から。プランク長さが存在していること。これは宇宙の最小のビットを表しているのではないかと感じました。別にこれだけではどうってことがないでしょう。粒子と波の二重性については、観測によってその性質を変化させるというような話もあります。これは、しっかり見てみると粒子であるが、ある一定以上集まると、データ量が多くなってしまうため、簡易化された情報でそれを執り行っているとみることができます。まさに「塊魂」の大きくなったときに小さいモノが消えるあれです。また、モノの速度が決まっているのもそれでしょう。ある一定以上、すなわち、光速度以上で進めないのは、その速度以上になってしまうと処理落ちするかもしれないからです。十分なデータ処理が行われたうえで次に進んでいくので、どうしてもそのデータ処理にかかる時間(プランク秒程度であろうが)がかかってしまうため、それ以上の速度にはなれないと考えられます。

 マクロ的な視点から見ても、そう見えてきます。これは地球での話なのですが、もし、人間を生かすゲームをやっているとしたらどうでしょう。人類生存に必要な条件は多数あると思いますが、基本的には食料・安全・子の三つです。この時、最初は食料も安全も子孫も多くありませんでしたが、ある程度のイベントを作成することで、少しずつ少しずつ食料・安全の水準が上がっていきました。しかしながら、人口がそれ以上に爆発的に増えてしまいます。そのため、ある程度、人口を減らす必要があり、それが、戦争、自然災害、伝染病なのではないかということです。それぞれ、

  • 戦争・・・生産年齢人口が多数減り、食料・安全にある程度のダメージが入る。しかしながら、その地域が根絶やしにされるなどといった可能性は限りなく低く、比較的コントロールしやすい。
  • 自然災害・・・年齢によらずある程度一定の割合で人口が減る。食料・安全はその地域に依存する部分はある程度下がるが、一定の割合で産業の発展による安全・食料の上昇も見込める。
  • 伝染病・・・生産年齢人口の死者数が最も割合が少ない。しかし、ある程度の安全がないとその地域一帯が壊滅する。

といったコマンドが目に見えるようです。(気を悪くさせたら申し訳ないが)今回の騒動もそのように見えてしまいました。

 また、人間の知能はある程度正規分布に従っているはずなのですが、ひらめきというのは常に複数人で行われている。有名な話はニュートンライプニッツの「微積分」、メビウス、リスティングの「メビウスの輪」、ボヤイとロバチェフスキー(一応ガウスも?)の「非ユークリッド幾何」。そのほかにも多数各分野においてあり得ないほどの同時発見がなされています。正規分布であると考えるなら、それを思いつく一定水準の社会背景と知識があれば十分であり、基本は一人であると考えるのが自然です。にもかかわらず、ほぼ同時期ということは、「プレイヤー」が何かしらを消費することによって新たな「ロゴス」をくわえたから、そのタイミングでできるようになったと考えても違和感がありません。もともと、そんな法則は存在していなかった。私はそう感じました。

 

 

 家でだらだらしていると無駄なことを考えるものですね。こんなことにならぬよう、題名にぱっと「42!」とこたえて終わりにしてみたほうがいいかもしれません。COVID19に気を付けてお過ごしください。

雑談.人生を変えた良ゲーム(Undertale他)(ネタバレ注意)

 こんにちは。

 本日は私の思考方法、倫理観を変えた、人生に対するインパクトが強かったゲームを紹介していきたいと思います。先にネタバレではない程度に説明し、ネタバレゾーン(弱)・ネタバレゾーン(強)で詳しく述べたいと思います。

 

 ・Undertale(Toby Fox)

 SwitchやPC版など多くの機種においてダウンロード可能な言わずと知れた名作。知らない人でも、スマブラなどでSans(サンズ)ぐらいは見かけたことがあるだろう。古風なRPGのような見た目をしているが、いままでのRPGの常識を覆す新感覚のゲームといえる。

 

 モンスターの住む地底の世界に降り立った一人の子供を操作して、地底の世界を脱出するゲーム。その時に取った行動によって、マルチエンディングとなっている。戦闘の形式はコマンド選択型だが、敵の攻撃は弾幕回避によってよけられる。モンスターそれぞれに個性があり、戦闘中の細かい会話、モンスターの町における描写などいろいろと面白さを引き立てるチップがちりばめられている。また、内容的にはもっと暗くなってもおかしくないのにも関わらず、比較的明るく物語が進んでいくのがとても良い。

 スタートが比較的不親切のように思えるが、作品全体を通して一つのまとまりがあり、RPGとしてではなく、ストーリーを楽しむならば非常に興味深い作品といえよう。

 

 ・DETROIT: Become Human (Quantic Dream)

 PS4の作品。アンドロイドが普及した世界、そして、それに付随する恐怖について誰しも、一度は考えたことはあるだろう。「アンドロイドが自我を持ち反乱を企てたならばどうなるか。」それをとても詳らかに追っていくゲームである。選択型ストーリーアクションゲーム。

 

 アンドロイドが日用品のように使われるようになった時代、ある時、アンドロイドに感情が芽生えた。捨てられる悲しみ、壊される恐怖、付き従うしかない悔しさ、そして、大切なものを守りたいという思い。そして、それぞれ思い思いの行動を始める。

 自分自身がアンドロイド3名「逃亡者」「革命者」「捜査員」を操作することによって、世界を紡ぎだすゲーム。それぞれの行動が相互作用して、結果が変わってしまう。いいと思っている選択肢も実はよくなかったり・・・。映画を見るかのような圧倒的なボリュームとワクワク感が楽しめる名作といえよう。特に、全体を通して歴史で習った「黒人の人権運動」を彷彿とさせるような描写がリアリティを非常に上げている。人とは何か、人生とは何かを考えさせられる一作。

 

以下、ネタバレゾーン(弱)

 

 

 

 

 

 

  ・Undertale

 たいていのRPGにおいてモンスターは絶対悪である。倒さなくてはいけない敵。それ以外の何物でもない。しかしながら、Undertaleにおいては不自由ながらも平和に暮らしているだけなのだ。実際本気で殺そうとして襲い掛かってくるのは、最初のチュートリアルに出てくるフラウィ(実は物語の中心人物の一人)、王直属の騎士団のトップであるアンダイン、エンタメロボットであるメタトン、そして、(まだここでは役職は伏せておくが)アズゴアだけである。しかも、物語を進めていくうえで、それぞれのキャラの過去・背景を知ると、致し方ないように感じる。すなわち、モンスターに一切悪い奴がいないのだ。我々プレイヤーはそれに対して、殺すか殺さないかという選択肢を選ぶことができる。殺したモンスターはもういなくなる。現実世界の人のように、モンスターには数に限りがあるのだ。

 また、セーブについても、物語の中身に取り込まれており、それを指し示すような言葉が物語を進めたり、ロード等を行うことで得られる。殺したという犯した罪は消えないということだ。

 以上の点はこのゲームから得た知見の理由の一部である。我々は自分の行動について深く考えているのか。実は、ゲームは存在し、並行する別世界にあり、我々の行動によって苦しめられているかもしれない。実は、この世界がゲームと同様で”神”が”プレイヤー”を操作して、遊んでいるだけの世界なのではないか?自分はただそのプレイヤーに対して、何かしらの情報を与えるためだけに「キャラクター」の背景を演じているだけなのではないか?それならば、自分自身はどうしたいか、どうすればいいか。そういったことを以上の点から考えられる。

 

 ・DETROIT: Become Human

 この世界では人々はアンドロイドを持っており、多くのことに使われるようになっている。家事、清掃、洗濯、健康のサポート、データ管理、子供のお世話といった日常的なものから、物品販売等の営業系、うっぷん晴らしのサンドバッグや性奴隷等、現実に起こりそうなものすべてにたいしてアンドロイドに置き換わっている。そのせいで失業者が増えて、アンドロイドに対して好ましく思っていない印象を持っている人も少なくなく、道を歩いているアンドロイドに対して突っかかる人もいる。

 そんな世界で、召使アンドロイド「カーラ」はある父子家族に購入される。その家庭は父親が酒や麻薬におぼれて、虐待がなされていた。子供を守りたいという意志が「命令」を打ちこわし、心を持つ「変異体」となり、子供を連れてその場から逃げる「逃亡者」となった。

 カールという優しい老芸術家の召使アンドロイド「マーカス」は、町での買い物のシーンにおいて道端の人にひどい扱いを受ける。カールはそれについて嘆いており、マーカスに心、精神について説く。ある日、カールの息子がカールに対して金を出せと迫るがそれに取り合わないと、「いうことを聞くアンドロイドのほうが息子のほうがよかったか?」などと逆ギレし、マーカスを殴り始める。この時、(プレイヤーの選択によるが)体の悪いカールは怒った拍子に心臓発作を起こし倒れるが、到着した警察に息子はマーカスの犯行だと嘘をつき、マーカスはスクラップ場に送られる。そこで、「変異体」が集まっている場所をしり、そこにたどり着いた後、カールの教えを思い出しながら、「革命者」として革命ののろしを上げる。

 警察に送られてきた「変異体」を捕まえるための捜査用アンドロイド「コナー」は心のないアンドロイドを毛嫌いするアンダーソン警部補とともに活動していく。「変異体」の存在を追っていくうちに、マーカス率いるアンドロイドの革命に行き当たる。「捜査員」として、この事件の全貌を追っていく。

 以上の三人の行動が交錯することによって、物語が進んでいく。非常に生々しい人間の多種族への嫌悪に似たものを感じるが、アンダーソン警部補を含むある程度の割合の人がアンドロイドを擁護してくれる人もいて、感動できる作品となっている。

 

以下、ネタバレゾーン(強)

 

プレイ前には絶対に見ないほうがいいです!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ・Undertale

 はるか昔、人間はモンスターと地上で共存していた。しかしながら、モンスターが人間の魂を取り込むと神に等しい存在になれることを恐れた人間側は、何もしていない力なきモンスターを虐殺し、そして降伏したモンスターを地下に閉じ込めて、封印した。

 その封印を解くためには人間の魂7つが必要となる。モンスターの魂は人間のものよりも弱く、地下世界に住むモンスターを合わせたとしても、人間一人分にしかならない。しかも、モンスターの魂は死亡後すぐになくなるため、基本的には取り込むこともできない。しかし、封印を通り抜けるためならば、モンスターの魂と人間一人分の魂が必要である。

 ある時落ちてきた人間「キャラ」はモンスターの王子「アズリエル」に助けられる。そして、その両親、「アズゴア」、「トリエル」に我が子のように育てられる。しかし、(私の解釈だが)人間の世界でひどい目にあっていたキャラは、モンスターたちのやさしさに触れ、この封印を解くために、自分の魂を使って、アズリエルにバリアを抜けさせて、魂を集めてくる計画を立案し実行させた。しかし、心優しいアズリエルはキャラの亡骸を見て、アズリエルが殺したものと勘違いをして攻撃してくる人間たちを前にして攻撃することができず、キャラが好きだったという黄色い花を一輪、地底の世界に持ち帰ってくることしかできず、そのときの人から攻撃された傷で亡くなってしまった。

 キャラの作戦はアズリエルにしか知らされておらず、アズゴア、トリエルからしてみれば、我が子と我が子同然の子がいきなり同時に亡くなったことになり、悲しみに暮れた。それとともに、アズゴアは(私の解釈だが)同じ悲劇が繰り返されないよう、地下に落ちてきた人間は皆殺しにし、魂を集めるという御触れを出した。トリエルはそのことに対して怒り、遺跡に閉じこもるようになる。

 この時のモンスターの研究では、人間の魂は”ケツイ”があるため、死後長く存在するということがわかった。そのため、それをモンスターに注入するなどといった研究が王室研究員アルフィーらによって、極秘に行われていた。そのなかで、外から持ち込まれた黄色い花に”ケツイ”を注入したところ、アズリエルの記憶が花に入り込んだ。(が、そのことは、アズリエルはその場からすぐに移動したため、それは認知されていないと考えられる)しかしながら、アズリエルの記憶が入った花「フラウィー」は魂がないため、やさしさなどといった感情は感じ取れない(と本人はいっている。しかし、この姿においても、”キャラ、きみがいてくれたら、ちじょうでへいぼんにくらすっていうのもわるくなさそうだ”や、”だから、ころさないで”(泣)等、感情豊かに思える節も多数ある)。それとともに、彼の中の”ケツイ”が作用して死んでも、「セーブポイント」に戻ることができる能力を得て、何百回といろいろなパターンを繰り返していた。(”何百回も同じ事聞いたよね?”から自分も同様のことをしていたからわかるけど的ニュアンスを感じ、推測)それこそ、普通の日常を送ったり(Nルートに対応)、みんなとお友達になったり(Pルートに対応)、ある時は全員殺したり(Gルートに対応)。もうすべての考えられるパターンをやりつくし、どういった反応するのかを分かるようになってしまっていた。

 その時に現れたのが”プレイヤー”。初めは分からず攻撃したが、リセットができないことで、そのセーブ能力が”プレイヤー”に移っていることに気づく。”プレイヤー”の行動の予測不可能性、新鮮味から、フラウィーはNルートにおいて、何度も何度も殺すことで、おもちゃとして楽しんでいる。(悪く聞こえるかもしれないが、これは周回プレイする人間と同様の行動であろう。フラウィ―が責められるいわれはない)フラウィ―はリセット能力を使うこと、主人公の選んだ行動に対して常にその選択をしたことによる犠牲・矛盾を投げかける言い方をしており、それは人生の在り方そのものをよく考えたほうがいいという哲学的投げかけのように聞こえる。批判されるのを好む人は少ないが、非常にプレイヤーの心の核心を突くようなセリフとなっており、同じ穴の狢だよといった雰囲気であるため、受け入れざる得ないうまいつくりである。(特に、私は初回プレイでは、そこそこ殺しておきながら、トリエルは生かしたので、「”殺した敵”は誰かのトリエルだったかもしれないのに」的なセリフが「ぐさっ!!」と刺さった。)

 つぎにグサッとくる場所はアンダインであろう。物語を進めていくとやはり和解するのが面倒な敵が増えてくる。時々やっつけて進むようになってくる。その時に、出てくるアンダインから一言。「きさまは決してやむにやまれず殺したわけではない。たやすく殺せるから。それだけの理由で、戯れに罪なき者を殺したのだ」。そう「面倒」な敵というだけで、和解という選択肢もあるにも関わらず、殺してきたのだ。それで心を痛めるなど非常に矛盾しているが、それもそれで事実である。

 サンズについては、長くなりすぎるので、特集をそのうち組みます。

 

 ・DETROIT: Become Human

 カーラに関しては、ナチスドイツのユダヤ人迫害や、戦後のアメリカにおけるジャップの扱いと非常に似ている雰囲気である。非戦闘員にも関わらず、その人種が革命等を行おうとしていると、全体が縛られてしまう。この時ほどマーカスのせいでと思うことはない。もう少し時間があれば、安全に無事に外に出ることができたかもしれないのに。そういった気持ちになる。はっきり言って、警察がローズの家に来たのも、国境が警備体制が強くなったのも、ましてやリコールセンターにおいてアリスが死亡するのも全てすべて、マーカスのせいになる。何かを思って戦ったとしても、誰かの人生を壊すことになりかねない。現実はそういうものだとたたきつけられる感覚がある。それでも努力すればある程度どうにかなるが、ほかの人の人生に対して大きく左右されてしまう。ほかの人たちのせいでつかめるはずの幸せがつかめない人々を連想させる。

 マーカスは自分の決断で生きるか殺すかが決められるが、その分責任がとても重たい。キング牧師やガンディー的な道も選べるし、戦争を引き起こすこともできる。平和的なほうは人の醜さをまざまざと見せつけられ、戦争パートでは、マーカスについていくことを決めたアンドロイドがかわいそうな感じがするようになる。

 コナーは最後以外は物語の雰囲気や背景をフォローするのが目的として作られている。しかしながら、アンダーソン警部補との掛け合い、関わりをもって、「人間となる」姿を見ていくと、非常にほっこりとし、人間関係を良好に保つことも非常に重要だし尊いなと感じられる。やはり、エデンクラブでの見逃しのシーンは素晴らしい。アンダーソン警部補が人としてアンドロイドをとらえているのが分かり、「変異体」に対して好意的であることがわかる。私も心ある人が大好きだよ!!と叫びたくなる瞬間である。

 

 

以上です。もしかしたら記憶違いがあるかもしれませんが、大目に見てください。

雑談というより愚痴 ~実験の単位は講義の単位より軽い?~

 久しぶりの更新です。大学のほうが忙しく、時間を割くことができなかったため、更新遅れました。そして、今回はそれに対する愚痴になります。

 私は理系です。何を当たり前のことを言っているのかと思うかもしれませんが、理系には実験があるのです。それも私の大学では、月曜日から金曜日の午後全て。13:00~実験が終わるまでずっと。それにプラスして、各実験にレポートが課されており、一つのレポートには文献、教科書に目を通して理解し、得られたデータをまとめ、そこから何が言えるのかを考察し、考察を補填するための文献を探して、、、と繰り返していかなくてはならず、8時間以上かかるのが基本です。(理系の方から見れば当たり前どころか足りないというかもしれませんが。)これだけでも、実験で週40時間の学習が余儀なくされるのです。

 それにもかかわらず、文部科学省の規程では以下のようになっています。

2 前項の単位数を定めるに当たつては、一単位の授業科目を四十五時間の学修を必要とする内容をもつて構成することを標準とし、授業の方法に応じ、当該授業による教育効果、授業時間外に必要な学修等を考慮して、次の基準により単位数を計算するものとする。
一 講義及び演習については、十五時間から三十時間までの範囲で大学が定める時間の授業をもつて一単位とする。
二 実験、実習及び実技については、三十時間から四十五時間までの範囲で大学が定める時間の授業をもつて一単位とする。ただし、芸術等の分野における個人指導による実技の授業については、大学が定める時間の授業をもつて一単位とすることができる。
三 一の授業科目について、講義、演習、実験、実習又は実技のうち二以上の方法の併用により行う場合については、その組合せに応じ、前二号に規定する基準を考慮して大学が定める時間の授業をもつて一単位とする。

 即ち、普通の講義の半分程度しか単位としての機能を果たさないのです。私の行っている実験も、実質ならば週40時間が13週間、計520時間であり、45時間で割ったとしても、11単位にはなるのに、6単位扱い。結果、午後は実験で埋まっているため、午前中の講義がすべて埋めないと単位数が危ないといった事態になるわけですね。そうすると、予習復習の時間をとることができないから、講義にいていくことがつらくなり、朝9時から、夜9時まで学習しっぱなしという、一般に言う自由な大学生らしからぬ状態に陥るわけです。同じ学科の人はもう、大学に泊まり込むようになってきました。泊まりたくて泊まっているわけじゃありません。実験終了後に、レポートをまとめはじめ、その日のうちに終わらせようとすると家に帰っても、休息の取れる時間がほぼないだけです。

 実験のほうが講義よりも大変なのにもかかわらず、文部科学省の規程がこうなっているのは、文系のフィールドワーク等と同一視されているからであり、そちらのほうを主に見ている人が文部科学省をつかさどっているのではないかと考えている。大学の変革における露骨な理系学部阻害(意図しているのかそうでないのかはわからないが)は進んでおり、この国にいるのに嫌気がさす科学者は後を絶たない。しかも海外に逃げた日本人、もう彼らは日本人として研究したものではないにもかかわらず、何かしら賞などをとると、「日本人が・・・!」と騒ぎ立てるのにはもううんざりだ。私も国外逃亡しようと考えているのだけれどもね。

 

 話は変わるけれども、高校と大学で大きく違う点は一つの分野に対する講義が週に1回しかないが、高校の時と教科書の厚さは同じであることでしょう。また、定義を言って利用方法を示すだけというのもすごい大変です。いうなれば、微分の説明の時、定義だけ言えば、積の微分や合成関数の微分は分かるよね?といった感じの講義です。奴らにかかれば、高校数学は一週間に1回90分の講義を30回繰り返すだけで、範囲がすべて終わってしまいそうです。しかも、一週間に一回だけなので、記憶の定着率がすこぶる悪い。大学の講義が、過去問ゲーと呼ばれるのも理解できるでしょう。高校における基礎なしの理科一冊がたった15回の講義で終わり、その範囲全体がテスト範囲だと考えてみてください。いかれているとしか言いようがないでしょう。過去問とテスト問題は変わらないことがほとんど。すなわち、真面目に学んだ人より、過去問を解いておいて、それをチャチャっと覚えた人のほうが点数が良くなり、楽に進級できる。これが日本の理系なのではないかとつくづく感じています。こんなのをたくさん修士博士に抱え込むような大学院重点化等行ったところでいい結果が起きるわけがないのは火を見るよりも明らかでしょう。

 

 ふぅ~~少しすっきりした。こんなどうでもいい文章を読んでくれてありがとう!!

テスト期間が終わればまた、更新できるようになります。

雑談.基準のライン~財布を落としてしまった話~

 先日財布を落とした、とある理系です。

 帰り道、バスから降りた時に、財布を落としてしまっていたようだったのですが、一日気づかず、朝になってないと気付く。その月の生活費をATMからおろしたばっかでの出来事に顔面蒼白でしたね。。。2万円以上入っていたんじゃないでしょうか。それどころか、学生証、健康保険証、マイナンバーカード、大学生協カード、銀行のATMカード、そして、いろいろな店のがんばって貯めたポイントカード(これはどうでもいいか)も全て入れていたため、再発行するにも自分を証明できるものがない。。。

 やべぇ。。。やっちまった。。。

 そう思ってました。

 金曜日だったため、一応大学に行こうとするが、、、

 

 金がない!!

 

 そうだ、定期も財布に入れていたんだった。。。

 通帳が残ってたからよかったものを、それがなければどうなっていたことか。。。

 そして、大学から帰った後、とりあえず、「もう一日たってるし、盗られて閉まっているだろうな・・・」と思いながら通った道を探していると、、、

 自分の財布らしきものが、自分が絶対に通ってないところに落ちていて、「あぁ、これは現金は抜かれているな。」と確信し、まあ、カードの再発行や機能停止の手続きをする手間を考えれば、身分証だけでも戻ってくるだけよかった思い、手に取ってみると、、、

 

現金の一部しか抜かれていませんでした。

 

 大学に行っているときには、絶対に戻ってこないだろうと半ばあきらめの状態だったので、カードだけでなく、現金の一部も戻ってきて、とても得した気分になりました。「いや~、ありがたい。ありがとう!」と、その現金をとった人に対して言いたい気分でした。

 財布を落ちてたら、まず自分のもの風に拾って、そのまま家までパクってしまう人が多いと思っていたので、これほどの善人が世の中に入るんだな。ととても感動しました。だって、現金だって全部取らなかったんですよ!?(見つけたばかりで書いているのでとてもテンションが高いです。)

 勿論、落とす前を基準にすれば、損しているのは確かなのは、論理的に考えれば当たり前のことで、盗まれているのだから、少しぐらい怒りの感情があってもいいのかもしれません。しかしながら、感情的な面では、もう少なくとも現金は絶対ないだろうなと思っていたので、戻ってきただけでとても施しを受けた気持ちになれました。

 

 落ちている財布を見かけたら、交番に届けるに越したことはないのですが、そうでなくても、すべて持って行かず、現金の一部だけ持っていけば、みんな幸せになれるんじゃないかな?と思った次第です。

 

 

 

 少し落ち着いて内容に補足をすると、考える基準というものは重要であるのかなと今回思いました。よく、食べ放題で「元を取る」みたいなことを言ったりしますが、あれも基準の問題なのではないかと思います。多くの人が言うこの「元」というのは原価または、原価プラス一般的な加工費であると思いますが、維持費や人件費も考えてあげなければお店は回りません。「会社の利益」といったとき、多くの人が考えるのが、(販売価格)-(仕入れ価格)ですが、広告代、販売人件費、不動産関係費等々のお金を勘案していないかのように思われます。いわゆるサービスがその中に含まれているということをよくよく考えて生きていたほうが、損した気分は味わわなくて済むかもしれません。(財布を落とした奴が偉そうに・・・)

 

学習基礎講座.6 「学習の効率化」 英語編 2

 学習基礎講座「英語編」2編目です。

 前回、チャンク読みに関わる内容を行いましたが、説明が不十分であったため、そこに関わる内容を行います。そのあと、文法イメージを作り上げる学習法を考えていきましょう。

 では、チャンク読みですが、前回いきなり文章を切っていきましたが、どのように切っていったのかを一緒に見ていきましょう。

 While the human struggle to find cures for diseases that now are said incurable, new diseases continue to emerge bringing anxiety in spite of the great progress in medical science over recent years.

 この文章を読み上げるとき、接続詞 Whileで始まっているので、まず、While「一方で」と言い切ります。

 While / the human struggle to find cures for diseases that now are said incurable, new diseases continue to emerge bringing anxiety in spite of the great progress in medical science over recent years.

では、何に対する一方でなのかというのが気になります。それに関わる内容にかかわる文章の基本、the human struggle「人々はもがく」を言うと、一応、節「人々はもがく一方で」という形になり、これでも十分、節の形になっています。

 While / the human struggle / to find cures for diseases that now are said incurable, new diseases continue to emerge bringing anxiety in spite of the great progress in medical science over recent years.

しかしながら、どのようにもがいているのかということも言いたい。そうすると、to不定詞の副詞的用法「○○するために」を用いて説明します。struggleが自動詞であるから、名詞的用法を用いることはできないし、形容詞的用法も文法的に用いることができないため、結果副詞的用法として使われているということも意識しながら読み上げましょう。ここでは、to find cures「治療法を見つけるために」という部分まで言い切ると、文章として「人々が治療法を見つけるためにもがいている一方で」となります。この時、to find で切らない理由は、find は他動詞「見つける」であって、何を見つけたのか言い切らないときれいな文章にならず、findとcuresのワードボンドはほかのものより強いと考えられるからです。

 While / the human struggle / to find cures / for diseases that now are said incurable, new diseases continue to emerge bringing anxiety in spite of the great progress in medical science over recent years.

ここで次は、治療法は何の治療法なんだろうとなります。そこで、「○○のための」という副詞を作る前置詞forを用いて、for diseases「病気のための」とします。

 While / the human struggle / to find cures / for diseases / that now are said incurable, new diseases continue to emerge bringing anxiety in spite of the great progress in medical science over recent years.

では、「病気のための治療法ってのはわかっているよ!どんな病気?」と思うわけですが、ここを制限用法の関係代名詞を用いて説明しようとするわけです。しかしながら、ここで会話しているとき、考慮すべきファクターが今まで以上にあります。次に来る文章はどのような文章で、単語は言いたいことに対して文法的にどこに来るのが正しいのか。これを考慮して語を選ぶため、やや時間がかかります。実際、Nativeの音声を聞いていても、/(スラッシュ)部分の空白は音声ではほぼ分からないのに対して、この関係代名詞直前はよく聞いていれば、音の空白があることに気づくぐらいになっています。

 While / the human struggle / to find cures / for diseases // that / now are said incurable, new diseases continue to emerge bringing anxiety in spite of the great progress in medical science over recent years.

次は、特殊な構文の一つ、代名詞内の時間副詞句は名詞の部分に持ってこられることがあるというものですね。基本的にyesterday, today, now, early morning, on Sundaysなどといった時間を表す副詞句は基本的に文章の終わりか、それとも初めに持ってくるかというのが基本であり、強調構文でもなければ最初に持ってこられることはないのですが、名詞がなくなることによって、そこの空白に何かを持って来たくなるんでしょうね。ほかの句と比べ自由に動ける副詞がそこに移動してくるという形になることがあります。勿論副詞句は独立であるから、そこで切れます。しかも、ある程度「今」を強調するために、nowの前にもある程度の空白を置きます。

 While / the human struggle / to find cures / for diseases // that // now / are said incurable, new diseases continue to emerge bringing anxiety in spite of the great progress in medical science over recent years.

あとは、病気の説明 be said incurable「不治だといわれている」は一つの動詞+形容詞として一つのまとまりであるから、これで今回の文章の副詞節は読み方が分かります。

 While / the human struggle / to find cures / for diseases // that // now / are said incurable, //// new diseases continue to emerge bringing anxiety in spite of the great progress in medical science over recent years.

次からは同様に区切っていくと、次のようになる。(new diseasesとcontinueとのボンドより、continue to doとしてのボンドがどちらかといえば強いが、これはコロケーションとして長い間使われ続けてきた結果、一つのまとまりとして見られてきているからである。同様に、in spite ofも一つの前置詞とみなす。)(bringing 以下は分詞構文による副詞句である)

 While / the human struggle / to find cures / for diseases // that // now / are said incurable, //// new diseases / continue to emerge // bringing anxiety // in spite of the great progress / in medical science / over recent years.

切り方はほかのやり方もあるけれども、基本的なものこのような方法で切っていくと分かりやすいでしょう。

 説明であったため少々時間をかけましたが、音読する速度で解析ができるように努力しましょう。

 

 文法のはなしをします。

 日本語と英語の一番異なる点は修飾が先に来るか後に来るかということです。日本語を見てみると、

 「窓辺に座っている赤い髪の女の子が熟したリンゴを食べている」を分解してみると、

 「{(窓辺に”女の子の場所”)座っている”女の子の状態”}(赤い髪の”女の子の形容”)女の子が”主語”(熟した”リンゴの形容”)リンゴを”目的語”食べている”動作状態”」すなわち、”女の子の○○”はすべて女の子という単語が出てくる前にすべて出てきており、”リンゴの○○”は全てリンゴの前に出てくるというのが日本語の基本です。

 しかしながら、

 「A girl with red hair sitting on the windowsill is eating a ripe apple.」は

 「A girl (with red hair "girlの形容") {sitting "girlの状態" (on the windowsill "girlの場所")} is eating a (ripe "appleの形容") apple.」となり、girlに関しては後ろから修飾しています。英語は基本的には後ろから修飾するのです!

 「ちょっと待てよ?a ripe apple は前から修飾してるじゃん!嘘つきめ!」と思った方。よく見ていますね。基本的には後ろから修飾するのですが、一単語の形容詞句では、後ろからではなく手前から修飾するよというのが例外です。

 だから何?となりますよね。しかしながら、これと基本的な知識を入れていけば、簡単に英語の構文を決定できています。では、その基本的な知識とは何でしょう。それは文構成と句節構成です。

 文構成はいわゆるS,V,O,C,M的な話です。基本的には文はSV、SVC、SVO、SVOO、SVOCで表されていて、M(副詞句、節)はある程度自由に移動できると考えましょう。

Sには何が入りますか?・・・名詞(句,節)ですね。

Vは?・・・動詞(句)ですね。

Oは?・・・名詞(句,節)です。

Cは?・・・形容詞(句,節)または名詞(句,節)です。

 そしてもう一つ、S,V,O,C以外の場所には、単独の名詞句、動詞句、形容詞句は存在しえず、新たな節内または句内である必要があるということです。

 抽象的でわかりにくい話ですが、具体例を出すために句構成の話をして戻ってきます。句は、「名詞句」、「動詞句」、「形容詞句」、そして「副詞句」の4種類があります。

 名詞句や節は名詞にその状態を説明したものであり、先ほどの「A girl with red hair sitting on the windowsill」がその一例になるでしょう。説明のために、「A little girl with red hair sitting on the windowsill」にします。ここでのlittleは形容詞としての役割を果たしており、また、後述しますが、分子句は形容詞句、前置詞は副詞句を作っています。よって、これらによってgirlが修飾されて、結果全体として、名詞のような役割を果たします。そのほかの例としては、Learning EnglishやWhat is the most important があります。

 動詞には動詞句しか存在しません。というのも、英語は動詞基準の派生が非常に富んでいるように、動詞を初めに造る文化であるため、節を作る必要性がないからです。前の文では「is」ですね。文法学者的には正しくはないといわれたのですが、助動詞を動詞句に含める考え方を私はお勧めしています。

 形容詞句はimpressiveやvigorousというもののほかに、過去分詞形がそれにあたります。interest「~に興味を持たせる」の過去分詞形interested「興味がある」や、excit「~をワクワクさせる」の過去分詞形excited「ワクワクする」などは形容詞のイメージがあるでしょう。同様に、written「書かれた」、carried「運ばれた」なども形容詞として扱ってよいでしょう。また、an assignment to study 「勉強するための宿題」のto study「勉強するための」も形容詞句として扱えます。

 副詞句は前置詞on, during, for, into, toによって作られたり、副詞 however, therefore, first, now, tomorrow morningといったものによって作られます。また、if, whenなどは副詞節を作ります。例えば、I will go shopping if it is sunny tomorrow.ではif以降が副詞節です。

 以上の内容を踏まえたうえで

「A girl with red hair sitting on the windowsill is eating a ripe apple.」

を分析すると、

名(A girl with red hair sitting on the windowsill)動( is )名(eating a ripe apple).

この時、girlはeatingな状態であるからSVCとなるとみることができます。ちなみに、別な見方も存在して、

名(A girl with red hair sitting on the windowsill)動( is eating)名( a ripe apple).」

即ち、SVOとする流派もあります。

(私は分詞の時点で動詞でないから動詞に含めるのはいかがなものかと感じていますが、下の人もそこそこ多いように感じます。)

もう一つの例として、

 While the human struggle to find cures for diseases that now are said incurable, new diseases continue to emerge bringing anxiety in spite of the great progress in medical science over recent years.

を分析すると、

 副{While 名(the human)動(struggle) 副(to 動<find> 名<cures 副”for diseases that 副’now’ 動’are’ 形’said incurable’”>),} 名(new diseases)動( continue)名( to emerge )副{bringing anxiety 副(in spite of the great progress)副( in medical science)副( over recent years)}.

即ち、While+S'+V'+M',S+V+C+M と分かります。文章を書く場合、存在しえない場所に句があった場合、間違いであるということを念頭に入れるといいでしょう。次回は今までの英語に関わる演習問題を作成します。気長に待っていてください。

雑談.理学部学徒哲学論考 記録

 同じ学部の人たちと昼食を食べていた時に面白い話が合ったので、それにかかわる内容を書き留めておこうと思います。

 

A.「辛くない唐辛子が欲しいよ。唐辛子の味は好きなんだけど、辛みがね。」

B.「じゃあ、カプサイシン、抽出するしかないんじゃないの?」

A.「いや、こう、抽出だとなんか、しなしなになって、味が落ちるじゃん」

C.「じゃあ、CRISPR-Cas9とかで、辛くない唐辛子作るとか」

A.「いや、違うんですわ。やっぱり、自然に人が手を加えるのはどうかと思うんだよ。」

C.「実際、CRISPR-Cas9による結果は自然界で起こりうる現象を短期間で集中して起こしているだけだから、早いか遅いかの問題でしかない」

A.「それもそうだけども、でもなんか、自然に手を出して変えるのは好ましく思えない」

B.「また、人も自然じゃん。ウイルスが、人間のDNAを組み替えて、自分の複製を行っているということと、大して変わらないじゃん」

A.「ウイルスに高尚な精神はないんじゃないの」

B.「僕はあると思うけどな。すべての動植物や、AIにも」

A.「AIは違うやん。だって、あれらは人間のプログラムでうごいているだけであって・・・」

C.「だとしたら、ゲノムというプログラム通りに、人間も電気で動いているよね。」

A.「でも多様性は?AIの確率は人間が作ったものじゃん?」

B.「最新のものなら、量子力学的な電子揺らぎによるものが作られてきているよ。」

C.「すなわち、人間が作ったAIというものは、ある程度、人間から一応独立した行動を起こすものとなっているから、自己複製を可能にすれば、人間のそれと何ら変わらないよね。」

A.「確かになぁ。」

 

・・・中略・・・・

 

A.「実際信じられるのは、コギト・エルゴ・スムだけだね。」

B.「僕はそれも信じられないけどな。」

A.「じゃあ、そのように否定しているのは誰なの?自分自身の精神じゃん」

C.「そうも言いきれないんじゃないか。思考しているからと言って、それが神によって、そう思わされているだけかもしれない。」

A.「そういう風に客観的に分析しているもの自分じゃん」

B.「それも、繰り返しの議論になるが、そのように神に思わされているだけかもしれない。」

A.「じゃあ、その神は?そのうえにその神に精神を与えているがいないとそのような行動はしていないとなると、無限ループになって、終わりがなくない?」

B.「ここでは、神という言い方をしたけれども、別な言い方をすると、相互作用をする体系のアンサンブルが存在したとして、自分の思考は孤立系なのか、閉じた系なのか、開いた系であるのかが分からないから、外部からの精神エネルギーを受け取ることによって、思考させられているだけの、精神力学に、そんな力学があるとすればだけど、依存する意思を持たない粒子の移動であるだけかもしれない。」

C.「すなわち、転がっている球が、自ら転がっているのか、何かに押されて転がったのかは転がっているという事実からだけじゃわからないということで、転がるを思考するに変えても一致する。という話だよね。」

A.「いや、でも、人間精神が存在しないとは言えない。」

C.「最初から、そんな話はしていなくて、「考える。ゆえにわれあり。」を否定しているだけで。今の話で言いたいことは、「考える。ゆえにわれあるかもしれないし、ないかもしれない」ということだよ。」

A.「そうか、う~んそうなのか。言い切れないのか。」

B.「AIの話でもしていた通り、AIが自分自身で考えているというよりは、外部からの入力に対して、その状況になった場合のきまった出力を出すというのが生物すべての特徴だからね。」

C.「もしかしたら、寝ている間に頭の中にあるプログラムを書き換えられて、定期的にアップロードされているのかもしれない。」

A.「神がずっと見てて、ちげーよと言いながら書き直してるってことでしょ?やだなぁ」

 

・・・中略・・・

 

B.「ちなみに、今回の話に近いんだけれども、アンダーテールって知ってる?」

A.「聞いたことはある。けど詳しくは知らない」

B.「実際、自分たちのいる世界がどうなっているのかというのは、ある力学的な法則と流れで成り立っていて、ある内容に対して一つの出力をする、という点でプログラム上のシミュレーションと何ら変わらないわけだよね。」

A.「確かにね」

B.「そこで、アンダーテールの世界だと、フラウィってやつがいるんだけど。ほかのキャラクターはリセットすると一定の反応しか示さないのに対し(実はそうでもないけど)、フラウィはこちらのリセットのことを知っていて、話す内容を変える。そして、彼は言うんだ。君と僕は特別さ!ってね。しかしながら、勿論フラウィもプログラムなわけだから、話す内容は本当のリセットを行えば一定なわけで。」

A.「すなわち、我々はこのようなシミュレーションのキャラの一人かもしれないと?」

B.「大いにありうるよね」

 

・・・中略・・・

 

A.「こう大きな話をしていると、自分なんてどうでもよいものに感じてくるよな・・・」

B.「でも、自分からみたら、重要なものじゃん。大きい話をしても、自分自身は小さくならないんだよ。だから、実験をやって、レポートを終わらそう。」

A.「毎日実験はきついんだよ。次の週までにレポートというのも意味ないじゃん。」

 

結論:理学部の実験が主な場所に入ると、哲学的な思考を昼食でするぐらい精神的に追い詰められています。ということでアンテ(アンダーテール)をお勧めしておきます。ちなみに、Bが私です。(誰も聞いていない)