先日財布を落とした、とある理系です。
帰り道、バスから降りた時に、財布を落としてしまっていたようだったのですが、一日気づかず、朝になってないと気付く。その月の生活費をATMからおろしたばっかでの出来事に顔面蒼白でしたね。。。2万円以上入っていたんじゃないでしょうか。それどころか、学生証、健康保険証、マイナンバーカード、大学生協カード、銀行のATMカード、そして、いろいろな店のがんばって貯めたポイントカード(これはどうでもいいか)も全て入れていたため、再発行するにも自分を証明できるものがない。。。
やべぇ。。。やっちまった。。。
そう思ってました。
金曜日だったため、一応大学に行こうとするが、、、
金がない!!
そうだ、定期も財布に入れていたんだった。。。
通帳が残ってたからよかったものを、それがなければどうなっていたことか。。。
そして、大学から帰った後、とりあえず、「もう一日たってるし、盗られて閉まっているだろうな・・・」と思いながら通った道を探していると、、、
自分の財布らしきものが、自分が絶対に通ってないところに落ちていて、「あぁ、これは現金は抜かれているな。」と確信し、まあ、カードの再発行や機能停止の手続きをする手間を考えれば、身分証だけでも戻ってくるだけよかった思い、手に取ってみると、、、
現金の一部しか抜かれていませんでした。
大学に行っているときには、絶対に戻ってこないだろうと半ばあきらめの状態だったので、カードだけでなく、現金の一部も戻ってきて、とても得した気分になりました。「いや~、ありがたい。ありがとう!」と、その現金をとった人に対して言いたい気分でした。
財布を落ちてたら、まず自分のもの風に拾って、そのまま家までパクってしまう人が多いと思っていたので、これほどの善人が世の中に入るんだな。ととても感動しました。だって、現金だって全部取らなかったんですよ!?(見つけたばかりで書いているのでとてもテンションが高いです。)
勿論、落とす前を基準にすれば、損しているのは確かなのは、論理的に考えれば当たり前のことで、盗まれているのだから、少しぐらい怒りの感情があってもいいのかもしれません。しかしながら、感情的な面では、もう少なくとも現金は絶対ないだろうなと思っていたので、戻ってきただけでとても施しを受けた気持ちになれました。
落ちている財布を見かけたら、交番に届けるに越したことはないのですが、そうでなくても、すべて持って行かず、現金の一部だけ持っていけば、みんな幸せになれるんじゃないかな?と思った次第です。
少し落ち着いて内容に補足をすると、考える基準というものは重要であるのかなと今回思いました。よく、食べ放題で「元を取る」みたいなことを言ったりしますが、あれも基準の問題なのではないかと思います。多くの人が言うこの「元」というのは原価または、原価プラス一般的な加工費であると思いますが、維持費や人件費も考えてあげなければお店は回りません。「会社の利益」といったとき、多くの人が考えるのが、(販売価格)-(仕入れ価格)ですが、広告代、販売人件費、不動産関係費等々のお金を勘案していないかのように思われます。いわゆるサービスがその中に含まれているということをよくよく考えて生きていたほうが、損した気分は味わわなくて済むかもしれません。(財布を落とした奴が偉そうに・・・)