とある二流大学院生の個人的見解

二流大学院生が学習や世の中の動向に対する自分の意見を綴っていくブログ

講義.6 学習方法論 国語

 さて、本日からは教科ごとによる学習方法を書いていきたいと思います。今まで、学習方法が4種類に分けられるよ。へ~そうなんだ。だから何?といった内容だったのですが、より詳しくそれぞれの内容に沿った話になってくると思います。

 本日は国語・現代文です。国語は一度できるようになると、ほとんど知識を入れる努力をしなくてもいい点をキープできるので、できるだけ早めの対策をすることが望ましいでしょう。特に現代文は理系の中では大きな差がつく部分であるから、正しく対策していくことが望ましいと言えましょう。

 国語に分類される学習としては、現代文古典が大まかな分け方になります。そして、現代文は評論文小説随筆文法漢字小論文があり、古典には、古文読解古文文法漢文があります。それでは、順番に学習方法を見ていきましょう。

 最初に評論文。評論文とは、事実を論理的に分析する文章と考えておくのが一番です。評論文で必要な能力は、基本的な語彙言い回しの記憶段落の分析、そして一番大事な批評しない能力です。私の書いているこの文章は平素であるほうですが、読めない単語や意味の取れない形容が繰り返されていくと、まるで、分からない単語の続く英語の読解と同じになってしまいます。これでは、母語としての役が経ちません。しかしながら、このことの対策は漢字練習をするときに辞書でその漢字が使われている単語を10個以上ひいてみて意味をつかむということをしていくこと、あとはことわざ辞典を暇なとき見てみるなどといった努力を一年続ければ、語彙や言い回しは問題なくなると思います。次の段落の分析からが文章読解の要になると思います。私たちはよく序論・本論・結論といったことをよく聞かれていますが、これだけではあまりにもお粗末であると言わざる得ません。段落を読んでその内容を一文程度でまとめておくということが評論文では重要になります。この一文を読んでいくことで文章の流れが分かるようにしておくことが重要です。これを行う上で間違いなく必要であることは、私情を挟まないことです。必ず、答えは文章中にある。これを胸に刻んでおかなくてはなりません。意見を持ってはいけません。これは相手の意見を素直に相手が言わんとしていること通りに受け取ることの訓練です。よく、自分の意見を無視しなくてはならないということは無駄などの批判がありますが、これは間違いで、相手の意見をまず分析できないといけません。国会の中継などを見ていれば分かりますが、「〇〇とは限らない」といった人が、〇〇だった時に批判されたりするけれども、そもそも、その本人が言いたかったことは、いまの段階では〇〇と断言することができないということで、決して〇〇出ないということは言っていない。そのような部分に対して批判するような馬鹿者にならないために相手の意見を正しく耳を傾ける、その能力が重要であると言えます。この能力がみんなに備われば、少しは良識ある報道が行われるのではないかと感じています。(これは勝手な自分の意見ですが、取り上げ方によって大きく世論を扇動してしまっており、結果としては、正当な権利が守られていないと感じています。)

 次に小説。小説とは、ここでは、事実かそうでないかに問わず、登場人物が出てきて、そのもの及びその周りに心情の変化が起きる話題のことを指すものとします。これは論理の飛躍が多く、学習する上では全ての教科を含めても、点数を上げることが最も難易度の高いものであると言えるでしょう。こちらは、シーンごとに誰がどんな精神状態であったかを記述しておくことがベストであると言えるでしょう。詳しい勉強法は、、、私に聞かないで・・・(いまだに小説はセンター9割を超えられません…)

 そして、随筆。これは、論理的とはいえないが何かしらの意見を言っているものと思っているとうまく分けられるでしょう。これは基本的には評論文と同様な形でよいのですが、評論文以上に自分の意見を捨てなくてはなりません。というのも、ハチャメチャな論理であっても、文脈上、根拠となる部分があれば、それを根拠として示さなくてはならないからです。例えば、「日本の気候は雨が多くてじめじめしているから、単数複数を区別しないし、主語もなく、日本人も陰湿なんだ。」といった評論があったとしても、「そんなことはない」と反論したりする前に、(日本の気候=じめじめ)→(単複×、主語×、日本人陰湿)のように簡易化した内容に置き換えることができるかがカギとなります。

 次に、見落としがちである文法。我々日本人は日本語の文法を説明できないことが多々あります。これこそが、英語を学ぶ上でも品詞に着目しないという愚行を行う理由です。(ほら、否定せずにまずはどんな意見だか、考える)文章を読むにも書くにも、文法が身についていないとしっかりとしたものが出来上がりません。今まであった日本人でも、話が通じない人がとても多いように感じます。そうでなくても、主語の不一致、敬常体混合、文章中の口語調、敬語の敬意方向等、非常にやばいです。(←この文章もやばい)Whyで聞かれたらBecauseで答えるはできるのに、何故?と聞かれて、~から。と答えられない人は多い。そもそも、日常生活で使っている言語と正しい日本語は全く違う言語であるということを意識していないから、国語を感覚教科と断ずるのだ!文章を書いたら、主語はあるか、動詞は主語にあっているか、形容詞や副詞は適切におかれているか、何通りかの意味に取ることができないか等といった必要最低限の確認をするのが大切です。(これも敬常体混合です)そのあと、後置詞(助詞、助動詞)などの用法を一つ一つ見ていきましょう。これは見るだけでいいです。覚えていないが頭に蓄えられている知識として、大きくこれからに関わってきます。

 以上のものより努力対効果の低いが重要になってくるのが漢字です。今までのものは、ちょっと頑張れば一気に学校の教材だけで伸びていくのに対し、漢字はずっと努力を続けなくてはならない、しかも、その割に一問2点とかシケタ点数しかもらえない報われない問題です。しかしながら、日常生活では一番といってもいいほど必要になってきます。テストでは見て、部首とつくり、文脈から読みや意味が分かる程度、そして、基本的な常用漢字が書けるだけでよいと感じていますが、常識として、陥穽、恣、竜髭菜といったような常用でない漢字も少しは入れていくのがいいのかなと思います。勉強法としては、一週間は違う漢字を練習しない代わりに、一日100漢字を覚えるというのがけた違いに伸びます。このとき、書く作業はほとんどしなくていいです。書くなんて作業は確認段階、即ち最後の二日ぐらいでいいのです。半分以上は書かなくても、小学校である程度行っていれば、書けるものばかりです。そんなものまで、同程度の強度は必要ありません。確認の時に書けないものだけ、書く練習をすればいいのです

 そして、最後に国語に加えるかどうか悩んだ小論文です。これは、国語的な能力が必要というよりは、どれだけ、自分の中に意見があるかということが大切であると言えるでしょう。定型の文章は多数ありますが、型を思えることは誰でもできます。というよりも、普通に学習していれば、小論文の型など小学生の時に学ばせられていたでしょう。意見をステイトして、理由を述べ、最後にリステイト。こんな当たり前のことを身につけていない人は受験勉強しなかった人です。小論文のためには、毎日ニュース日記をつけましょう。これはただの日記ではなく、ニュースに対する意見をステイトする小論文調の日記です。こうすることによって、基本的な思考の土壌を育むことができるでしょう。

 本日はここまでに致しましょう。見直してみると・・・本当にこの人現代文できるの?(現役の時、現代文のセンター8割行かなかったくそ雑魚です>>)それでも、何かの糧になってくれればいいかな。次は、しっかりと取れた古典の話をしよう。